待機児童解消が進む自治体における保育の質に関する課題と展望:データと政策の視点
はじめに:待機児童解消とその次の課題
近年、国や自治体の集中的な取り組みにより、多くの地域で待機児童数は減少傾向にあります。しかしながら、保育サービスの「量」の拡充が進む一方で、「質」の確保・向上という新たな、あるいはより重要性を増した課題が顕在化しています。自治体職員の皆様におかれましても、待機児童対策の推進に加え、持続可能な地域の子育て支援環境を構築する上で、保育の質の維持・向上は不可欠な視点となっていることと存じます。
本稿では、待機児童解消が進む状況下における保育の質に関する現状、関連データ、国の政策動向、そして自治体が果たすべき役割と具体的な施策の方向性について、客観的な情報に基づき解説いたします。
保育の質を巡る現状とデータ
保育の質は多岐にわたる要素によって構成されます。具体的には、保育士の配置基準や専門性、研修体制、保育環境(施設・設備)、保育内容(カリキュラム)、安全管理、保護者との連携、地域との連携などが含まれます。
国の保育所保育指針や幼保連携型認定こども園教育・保育要領は、保育の内容に関する質の基準を示すものですが、これらの基準が各施設において適切に実践されているか、また、地域の実情や多様なニーズに応じた質の高い保育が提供されているかを把握することは容易ではありません。
客観的なデータとして活用できるものには、以下のようなものが挙げられます。
- 保育士に関するデータ: 有資格者数、就業率、離職率、平均勤続年数、年齢構成、研修受講状況、給与水準など。保育士の安定的な確保と専門性の維持・向上は、質の根幹に関わります。(出典:厚生労働省「保育士の有効求人倍率の推移」「保育士等に関する関係資料」等)
- 施設に関するデータ: 認可・認可外の内訳、定員充足率、施設の老朽化状況、改修・建替の状況など。物理的な環境は安全かつ質の高い保育の基盤となります。
- 第三者評価結果: 保育所や認定こども園には、一定の周期での第三者評価受審が努力義務または義務化されています。評価項目には、運営状況、保育内容、子どもの発達支援、保護者支援などが含まれ、客観的な質の指標となり得ます。評価結果の集計・分析は、地域の保育の質全体を把握する上で有用です。(出典:各自治体の評価結果公表データ、福祉医療機構WAM NETの公表データ等)
- 自治体独自の調査・監査結果: 自治体が行う施設監査や指導監査、または独自の保育実態調査の結果は、地域内の個別の施設における質の状況や課題を把握する直接的な情報源となります。
これらのデータを複合的に分析することで、地域全体の保育の質の傾向、特定の課題(例:職員の専門性向上の必要性、特定の保育内容の不足、施設環境の課題など)を特定し、根拠に基づいた施策立案が可能となります。
国の政策動向:量から質へのシフト
国は、待機児童解消に向けた取り組みを推進する傍ら、保育の質に関する施策も強化しています。
- 「新しい子育て安心プラン」等: 従来の待機児童解消計画等に加え、保育の受け皿拡大と併せて、保育士の処遇改善や研修強化による専門性向上、働き方改革による離職防止、ICT化推進による業務効率化などが掲げられています。これらは直接的・間接的に保育の質向上に寄与するものです。
- 保育所保育指針・教育・保育要領の改訂: 約10年ごとに改訂されるこれらの基準は、時代の変化や子どもの発達に関する新たな知見を踏まえ、保育内容や小学校教育との接続等に関する質の方向性を示します。これらに基づく研修や自己評価は、質の維持・向上に不可欠です。
- 処遇改善とキャリアアップ: 保育士の給与改善や、職務分野別リーダー、専門リーダー、施設長といった役職に応じたキャリアアップの仕組みは、専門性に応じた評価とモチベーション向上を促し、質の高い人材の確保・定着に繋がります。
これらの国の政策の意図を理解し、自治体独自の施策と連携させることが重要です。
自治体に求められる役割と施策の方向性
待機児童が解消傾向にある自治体において、次に重点を置くべきは、既存施設の質の維持・向上と、地域ニーズに応じた多様な質の提供です。
- 質の評価と可視化:
- 第三者評価の受審促進と結果の活用:評価結果を自治体内で集約・分析し、地域全体の傾向や課題を把握します。また、保護者が施設選択の際に参考にできるよう、結果の積極的な公表を支援します。
- 自治体独自の質チェックリストや巡回指導:国の基準や第三者評価項目に加え、地域独自の課題(例:特定の支援が必要な子どもへの対応、地域資源の活用状況など)を踏まえたチェックリストを作成し、定期的な巡回指導や助言を行います。
- 保育士の専門性向上と働きがい向上:
- 研修機会の拡充:国が示す研修に加え、自治体独自のテーマ別研修(例:特別なニーズのある子どもへの対応、保護者支援、多文化共生、ICT活用など)を実施または受講費用を補助します。
- キャリアアップ支援:国の仕組みに加え、自治体独自の補助金や研修プログラムを設けることで、保育士が専門性を高め、長く働き続けられる環境を整備します。
- 働き方改革支援:ICT導入支援、事務作業の負担軽減策、有給休暇取得促進など、保育士が子どもと向き合う時間を確保できるような環境整備を支援します。
- 地域連携と多様なニーズへの対応:
- 地域子育て支援拠点事業との連携強化:保育所が地域の子育て支援の拠点としての役割を果たせるよう、物理的・人的な支援を行います。
- 特別なニーズのある子どもへの対応力強化:障害児保育や医療的ケアが必要な子どもへの対応に関する研修や専門職(保育士、看護師等)の配置支援を行います。
- 多様化する家庭への支援:ひとり親家庭、多文化家庭、外国にルーツを持つ家庭など、特別な配慮が必要な家庭への支援体制(情報提供、相談支援、多言語対応等)を強化します。
- 保護者との連携強化:
- 情報提供の充実:施設の運営状況、保育内容、評価結果などを分かりやすく保護者に伝える仕組みを構築します。
- 相談支援体制の強化:保護者が安心して子育てできるよう、育児相談や専門機関への連携を円滑に行える体制を整備します。
課題と展望
保育の質向上には、継続的な財源の確保、専門人材の育成・確保、そして評価基準の客観性と実効性の向上など、様々な課題が伴います。また、地域の歴史や文化、住民ニーズの多様性を踏まえつつ、画一的ではない、その地域ならではの質の高い保育を追求していく必要があります。
今後は、データの利活用を一層進め、例えば「特定の評価項目の平均点が低い施設への集中的な支援」や「保育士の離職率と研修受講状況の相関分析に基づいた施策の見直し」など、データに基づいた科学的なアプローチが重要になると考えられます。
まとめ
待機児童問題が解消へと向かう中、自治体にとっての次なる大きな課題は、地域における保育の質をいかに維持・向上させていくかです。量から質への視点の転換は、持続可能な子育て支援環境を構築し、すべての子どもたちが健やかに成長できる地域社会を実現するために不可欠です。
自治体職員の皆様には、国の政策動向を把握しつつ、地域の実情に即したデータの収集・分析を行い、根拠に基づいた質の向上施策を戦略的に推進していくことが求められます。保育の質に関する取り組みは、未来への重要な投資であり、その成果は子どもたちの健やかな育ちと、地域社会全体の活力に繋がるものと確信しております。