待機児童統計だけでは見えないニーズ:「隠れ待機児童」の実態把握と自治体の対応策
はじめに
自治体における子育て支援施策、特に保育サービスの計画・提供において、公式な待機児童数は重要な指標です。しかしながら、この統計だけでは地域に存在するすべての保育ニーズを正確に捉えきれないことが指摘されています。いわゆる「隠れ待機児童」や「潜在的な保育ニーズ」と呼ばれる層の存在は、適切な供給計画の策定や、きめ細やかな支援策の立案を難しくする要因となります。
本稿では、この「隠れ待機児童」の実態とその背景、そして自治体職員が潜在的なニーズを把握し、効果的な施策につなげるための視点について解説いたします。
「隠れ待機児童」とは何か?なぜ統計に現れないのか
公式な待機児童数は、一般的に、市町村が定める利用調整基準に基づき、保育施設等の利用を希望して申請を行ったものの、特定の要件(例:利用可能な施設が近くにある場合など、自治体により基準は異なる)を満たせず、かつ育児休業中ではないなどの条件に合致する児童の数を指します。
一方、「隠れ待機児童」や「潜在的な保育ニーズ」と呼ばれる層は、主に以下のような理由から、公式な統計には含まれません。
- 利用申請そのものを見送った層: 申請しても入所できないだろうと予測し、申し込みを諦めたケースです。保育施設の空き状況や入所倍率に関する情報を事前に得て、申請自体を断念する保護者がこれに該当します。
- 特定の施設のみを希望する層: 職場や自宅からの距離、教育方針などを理由に、特定の施設のみを強く希望し、それ以外の施設には申し込まない、あるいは内定を辞退するケースです。
- 求職活動要件等、自治体独自の要件を満たせない層: 利用調整基準で定められた就労時間や求職活動の実態などの要件を満たせない、あるいは証明が難しい保護者の児童が該当する場合があります。
- 情報不足や制度理解の不足による層: 保育サービスの申請手続きや、利用可能な施設の種類に関する情報が十分に得られず、ニーズがあっても適切な行動に移せないケースです。
- 認可外保育施設等を利用している層: 認可外保育施設等に入所できているものの、本当は認可保育施設等への入所を強く希望している層です。公式統計では特定の要件を満たさない限り待機児童とは計上されません。
これらの層は、地域における潜在的な保育ニーズとして存在しており、その実態を把握することは、将来的な保育サービスの需給見通しや、多様な保育ニーズへの対応策を検討する上で不可欠です。
潜在的な保育ニーズの実態把握に向けたアプローチ
自治体が「隠れ待機児童」を含む潜在的な保育ニーズを把握するためには、公式統計の収集に加えて、多角的なアプローチが必要です。
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アンケート調査:
- 未就学児の保護者全体、特に保育施設等を利用していない家庭を対象とした大規模なアンケート調査は、潜在ニーズの規模や性質を把握する上で有効です。
- 調査項目としては、保育サービスの利用希望の有無、希望しない理由、希望するサービス形態(時間、種類、立地など)、申し込みを見送った経験の有無とその理由などが考えられます。
- 出生時や転入時の家庭へのプッシュ型情報提供と合わせて実施することも効果的です。
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窓口相談記録の分析:
- 保育施設の利用申請に関する相談、空き状況に関する問い合わせ、申請を見送った旨の相談などの記録を蓄積・分析することで、窓口に現れた潜在ニーズの傾向を掴むことができます。
- どのような理由で申請に至らないのか、特定のエリアや年齢での問い合わせが多いかなどを分析します。
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地域住民との対話・意見交換:
- 地域の子育て支援センター、民生委員、児童委員、町内会、企業など、地域の多様な主体との連携を通じて、地域の実情に基づいた保育ニーズに関する情報を収集します。
- 保護者や地域の声を聞く機会(懇談会、ワークショップ等)を設けることも有効です。
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関連統計データの分析:
- 転入・転出者数、出生数、共働き世帯率、地域の産業構造、駅周辺の開発状況など、人口動態や地域特性を示すデータと照らし合わせることで、潜在ニーズが発生しやすいエリアや層を推測することができます。
把握した潜在ニーズの分析と施策への活用
収集した潜在ニーズに関する情報は、単に集計するだけでなく、自治体の保育政策にどう活かすかを検討することが重要です。
- 地域別・年齢別の詳細分析: 潜在ニーズが特に高い地域や年齢層を特定し、集中的な対策が必要か検討します。例えば、特定の開発地域や駅周辺でのニーズが高い場合は、そのエリアでの施設整備や既存施設の定員拡充を検討します。
- ニーズの性質に応じた多様なサービス提供の検討: 短時間勤務、テレワーク、フリーランスなど、多様な働き方のニーズが高い場合は、短時間保育、一時預かり、ベビーシッター利用支援、地域子育て支援拠点での一時的な預かり機能強化など、柔軟なサービスの提供を検討します。
- 情報提供体制の強化: 申請を見送った理由が「情報不足」や「制度理解の不足」である場合は、ウェブサイト、広報誌、個別相談会などを通じた丁寧な情報提供、特に潜在的な利用者層へのアウトリーチを強化します。
- 利用調整基準の見直し検討: 求職活動中の扱いなど、現行の利用調整基準が実態に合っているか、潜在ニーズを生み出す要因となっていないかを見直すことも必要です。ただし、基準変更は公平性に大きく関わるため、慎重な検討が求められます。
- 相談支援体制の充実: 保育施設に関する相談や、個別の家庭の状況に合わせた支援策を提案できる専門的な相談窓口の設置や機能強化も有効です。
課題と今後の展望
潜在的な保育ニーズの把握には、データ収集の難しさ、集計・分析にかかる人員・コスト、そして把握したニーズを具体的な施策に結びつけるための調整など、様々な課題が伴います。しかし、少子化が進む中でも保育ニーズの多様化は避けられず、また共働き世帯の増加傾向は継続すると考えられます。
自治体においては、公式な待機児童数のみに囚われず、地域の潜在的な保育ニーズを的確に捉え、データに基づいた柔軟かつ多様な子育て支援施策を展開していくことが、今後ますます重要になるでしょう。他自治体の先進事例や、最新の国の動向(こども未来戦略等)も参考にしながら、地域の実情に即したきめ細やかな対応を進めることが期待されます。
まとめ
「隠れ待機児童」を含む潜在的な保育ニーズの実態を把握することは、自治体における保育サービスの供給計画や子育て支援施策の効果を高める上で不可欠な要素です。アンケート調査、窓口相談記録の分析、地域との連携など、多角的なアプローチを通じてニーズを掘り起こし、その性質を詳細に分析することで、地域の実情に即したより的確な対応が可能となります。自治体職員の皆様におかれましては、公式統計と合わせてこうした潜在ニーズにも目を向け、データに基づいた政策立案に活用されることを期待いたします。